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作家兼フリーライターとして生活する管理人のMOKUSEIです。
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今回のテーマは、「おじさんについて考える」 です。では、ごゆっくりお寛ぎください。
目次
おじさんについて考えてみよう。
みなさんは、おじさん・おばさんについて考えてみたことがありますか?
管理人自体が、十分に「おばさん」と言える年齢ですが、最近は大人の女性は何かとクローズアップされて、よい意味で持ちあげられやすいです。
ところが、おじさんはどうでしょうか。
イケオジ、ちょい悪おやじ、というような言葉はたまに女性誌などで流行りましたが、最近はあんまりクローズアップされませんよね。そこで、ここでは
おじさんについて考察していきます。後半では、男性の更年期についても触れているのでぜひ参考にしてみてください。
おじさんの定義とは?
「おじさん」というのはどのような定義を持ってして「おじさん」と言うのでしょうか。生物学的に考えてみると、年齢としては、30歳を過ぎたあたりからが「おじさん」かもしれません。
男性も女性も若々しい人が増えているので、30歳じゃあまだまだ若いかもしれませんが、
年齢で言えばおじさんです。
ということは、女性もおそらく、30歳を過ぎたら「おばさん」です。
ツライですね・・・。
ここでは、おばさんの話は置いておきますが、
30歳を過ぎたらなぜおじさんなのか、ということを定義してみると、まず大きなことが、
ホルモンバランスや新陳代謝の関係です。
20代までの男性は、男性ホルモン(テストステロン)がどんどん出ているし、体の新陳代謝も20代前半までは10代の頃から若干下降線に入る程度だと言われます。それが、
30代に突入すると徐々に減っていく、という肉体的な「進化」がなくなった頃から、
おじさんはおじさんになっていく模様です。
管理人は女性なので分かりませんが、男性のみなさんは30代になったら、急に疲れやすくなったり、色々なものの好みが変化したり、いろいろありませんか?
見た目おじさんと中身のないおじさん
ここで、日常的に作家として人間観察が趣味の管理人が思う、男性の見た目おじさん化やおじさん力について書いていこうと思います。
おじさんもおばさんも、その言葉だけだと、「見た目」でそう言われてしまうものであるとふつうは考えると思いますが、管理人はちょっと違います。
その違いを大きく二つに分けると、
「見た目おじさん」と「中身のないおじさん」となります。
ちょっと詳しく解説してみます。
人の年齢は後ろ姿で分かる!見た目おじさんって?
学術的に証明された話でもなんでもないので、あくまでも個人的な見解ですが、
おじさんと呼ばれるファクターが主に見た目であることから、
見た目が老けてくると「おじさん」と思われるであろうことは間違いがないと思われます。
ここで、面白いお話があります。それは、
「人間の年齢は後ろ姿で分かる」
という驚愕な事実です。みなさんも、よくよく思い出してみてください。
例えば、
自分の前を男性あるいは女性が歩いているとします。
大体の人は、よく観察しなくても、その人の後ろ姿だけで、
「大体何歳くらいか」が分かることに気が付くと思います。
そこまでハッキリと分からなくても、少なくとも「年代」は分かるのではないでしょうか。面白いですよね。これって、服装や歩き方で分かるわけではないようなのです。
人の後ろ姿から察することができるのは、
体格、身長、肩幅、手足の長さや太さ、髪型・髪質・髪色、そして雰囲気です。
随分たくさんのことが後ろ姿だけで推測できますよね。そして、これらを判断基準としたときに、前を歩く人の正面を見て、ほとんどがハズレません。
これってどうしてなのでしょうか。管理人の推測ですが、
人の見た目の印象の全ては「雰囲気」であると思って間違いないです。
雰囲気によって、人は他の人間の年代が分かるわけです。
ところが、この雰囲気は、見た目をどんなに若作りしてもあまり変えることができない要素です。
ちょっと若く見られるくらいのレベルなら変えられるのですが、さすがに「年代」まではおそらく変えることができないであろうと思います。
そして、この雰囲気が「おじさん」だと、その人は「見た目おじさん」となります。
これは、本人がどう自覚しているかはあまり関係がなく、すごく古い例えをすると、
ドラゴンボールの初期に出てくる「戦闘値」を計れる装置がありますが(この話が分かる人は管理人と似た年代のハズです)、人間にはそもそもそういう装置が備わっているからとしか考えようがありません。
そう、人は動物だからです。本能のレベルというやつですね。
本能おそるべしです。ですが、こうした考察はとても面白いですよ。
中身のないおじさんとは
見た目おじさんが、単純に「見た目でおじさんだと分かる」のであれば、じゃあ中身のないおじさんってなんだ、というと、
見た目にも年齢もおじさんなのに中身はおじさん(大人)ではない状態のこと
です。あー、あるある、と思う人もいるのではないでしょうか。つまりは、中身が大人になり切れていないということです。少なくとも、大人は大人たるために努力をするものですが、それすら初めから放棄している人、と言えば分かりやすいでしょうか。
例えば、30歳の男性が2人いたとします。1人は、30歳っぽい見た目で、中身も30歳っぽい考え方や行動だとします。
もう1人は、見た目は20代後半でも通用しそうであり、中身もそういった若い考え方や行動だとします。
ここで言うところの「中身のないおじさん」は、もちろん2人目のことです。
見た目が若い代わりに中身は年齢相応の場合、なぜか年相応に大人に見えますが、見た目が若いからといって中身も変らない場合、それはちょっと痛いおじさんです。そういう意味での
「中身のないおじさん」です。
要するに、「中身子ども」とイコールなのですが、男性は女性と比べて精神年齢が若い傾向があるため、「中身子ども」は女性にとっては当たり前という認識があります。
同級生が幼く見えるのは、ほとんどの女性が経験しているからです。
ですから、多少は実年齢よりも考え方などの中身が少し子どもっぽくても許されるかもしれませんが、それは本人が自分の年齢相応の行動をしようと意識してこそのこと。
努力をしていないと、中身のないおじさんと言われてしまいます。
もちろん、これは女性でも同じですし、ジェンダーレスな話ですよね。
モテるおじさんって?
ここで、てっぱんのお話を少し書いておきたいと思います。
モテるおじさん、モテないおじさんといった定義についてです。
人は誰しもモテたい願望が少なからずあると思います。あんまりありすぎるのもどうかと思いますが、
世の中には、なぜかモテるおじさんがいますよね。なんであの人が、っていう人がモテる理由について、ちょっと考察していくと、根本的な問題が見えてきます。
モテるおじさんは清潔感がある、はウソ
いきなりすごいことを書いてしまいますが、よく男性向けのコラムなどで、
「モテる男性は清潔感がある人!」っていうのを見かけますが、あれは半分は本当で半分はウソだと思って間違いありません。
清潔感がある人の好感がアップするのは、性別、年齢問わずなので半分は本当です。でも、清潔感だけでモテるのか、と言うと無理です。それは、年齢に関係のない話です。
特におじさんの年齢にあたる人は、もっと根本的な部分について考えなければならないのです。
では、何があるとモテるのか、嫌われないのか、どちらかと言うと好かれるか、と言えば
怖くないおじさん
です。これが、絶対条件です。
なるべく誤解を与えないように書くと、男性が怖い女性はかなり多いです。かく言う管理人も、若い頃はけっこう男性が怖かったですし、今でも怖い男性は本気で怖いです。
中でも、声が大きい人、動作の大きい人は本能のレベルで怖い女性がとても多い、という事実は男性向けコラムなどにはあまり書かれていません。
ところが、この「怖くない」ということは、本当に重要なモテ要素なのです。これさえクリアしていればいいのではないか、というほど基本的な部分です。
重要度的に並べると、
怖くない人>清潔感のある人>真面目な人
というくらい、順序の違う話なのですね。とにかく基本的に怖くない人、というのは絶対に外せません。(←強調)
例えば、表向きには強面(こわもて)のように見られてしまう人であっても、中身さえ怖くなければいいのです。
逆に言えば、どんなに表向きが優しそうで誠実そうで清潔感があっても、いざ中身を垣間見たら怖い要素がたくさんあるような人はモテません。モラっぽい、冷たい、というのも含まれます。
おじさんの場合、この「怖くない」という部分は若い人よりももっと需要なモテ要素となります。
なぜかと言うと、おじさんはもともと「ちょっと怖そう」だからです。
失礼でごめんなさい・・・・・!
ですが、実際にそうなのです。おじさんは怖い。動作も声のボリュームも怖い。ところが、話してみたらすごく優しいいい人だった、というおじさんが、モテます。
清潔感やら話の楽しさやらといったことは、2の次なのですね。
おじさんはカッコいい
落としておきながら持ち上げるのもなんですが、多くの女性にとって、ある程度年齢がいくと、実は若い男性よりもおじさんのほうがカッコいいと感じることも多いように思います。
この理由は、怖くないという前提として、
頼りになりそう
だからではないかと思います。自分より若い男性には悩みを話したくなくても、年上の男性には話したくなる人も多いのでは?
おそらく、器の大きさが違うからでしょう。
話をせかさないおじさんは、ゆっくり話を聞いてくれます。余計なことも言いません。女性が嫌う3大ワード・「でも」「だけど」「じゃあ」
の代わりに、
「うん」「そうなんだ」「それで?」
といった感じの話の聞き方ができるのは、おじさんならではではないかと思います。中には、長い話が苦手で先を急ぐ人もいますが、要するに
共感力
というものが身についている人が多いので、カッコいいと思われる人が多いのです。または、包容力。
普段は物静かなおじさんが、何かあった時には頼りになったりもします。そういうギャップが生み出せるのが、おじさんのいいいところです。
おじさんが怖く見えるのはなぜか
先にも書きましたが、男性の中でもおじさんは、怖がられやすいです。それはなぜかと言うと、「見た目」です。
それを言ったらおしまいじゃん、という感じですが、怖がられるくらい、「男性」として存在している、と解釈するべきかもしれません。
おばさんが、ギャーギャー言って怖い、とか、キーキーうるさい、とか、すぐに怒る、というのも「見た目」でそう見えることが多いです。
実際にはうるさくなくても、怒らせたら厄介そうだと思われるのは、若い女性より、おばさんです。そして実際、その通りです。
なぜなら、おばさんも年齢を重ねている分、遠慮がなくなってくるからです。
怖いものがだんだんとなくなっていくからですね。
おじさんも同様で、怖いものがなくなってきているおじさんは、「見た目が怖い」ものです。それはどうしようもないことです。
行動にあまり無駄がなくなると、人は怖く見えます。
管理人の夫も、見た目はたぶん怖いおじさんです。家族は中身を知っているので怖くないのですが、「見た目が怖いよ」と言うと、「そう言われるとどうしたらいいのか分からない」と言われます。
そこで、こちらも、その見た目をどうしたらよいのかと考えてみるのですが、やっぱりどうにもならないものです。髭を剃るとか、服装を変えるとか、そういうことではあまり変わらないのです。
というわけで、おじさんが怖いという女性がいたら、仕方のないことだと思いましょう。肝心なことは、「中身が怖くないこと」 です。
おじさんと更年期
女性の更年期の話は、当たり前のようによく聞きますが、今や男性にも更年期があることもようやく周知されてきました。
しかも、おじさんの場合は更年期が緩やかにずっと続く場合が多いそうです。ツライですね。
人が更年期になる時期は、社会的にも家庭的にも責任が重くなってくる頃なので、ダブル、またはトリプルパンチとなって不調が降り注いできます。ほんとにしんどいです。
男性は素直にツラいと言えないことが多い
敢えて、男性、と書いていますがおじさんでなくとも、男性はツラいことを「ツラい」と言えないことがとても多い印象があります。
時代は変わっても、「男は弱音を吐かない」と無意識に思っている人がとても多いのだと思っています。しかし、それは男性側の勝手な解釈かもしれません。
おじさん世代の人は特に、更年期っぽい時に、しんどい気持ちを一人で抱え込みがちですが周りの人は、もっと弱音を吐いてラクになってもらいたい、と思っていることがとても多いです。
ただでさえ、自分の不調は人には言いにくいのに、さらに不調になると限界を超えてしまうので、これからのおじさんは、もっと人にツラいことや弱音を吐くべきだと思っています。
ツラそうにしているのは、人に言わなくても見ていてなんとなく察しているもの。であれば、弱音を吐いてもビックリはされません。
むしろ、言ってもらいたい人のほうが多いのです。
勇気がいることかもしれませんが。
ファザーコンプレックスとおじさん
最後に、ちょっと面白いお話を書いておきます。
これまで、女性から見たおじさん、という構図で書いてきたので、全体的にどうしておじさんはこのように思われがちなのか?ということについて。
女性の多くは、潜在的にファーザーコンプレックスを持っていると言われるそうです。管理人にもあったりします。
暴力的な父親のもとで育った女性は、そういう男性を無意識レベルでは怖がりますが、男性とはそういうものであるという間違った認識があるがゆえに、似たような男性にひっかかりやすい、ということもあるようです。
また、優しい父親のもとで育った女性や、早くに父親を亡くした女性にとって、男性というのは主に「甘えたい相手」であったりもします。
女性がおじさんを見る時、誰と比較して見ているか、と言えば基本的には「父親」と言われており、自分の父親と比べてどうか、という部分は少なからず影響があるようにずっと感じています。
そのうちに、こうしたコンプレックスは良くも悪くも薄れていき、だんだんと自分だけの価値観で男性を見ることができるようになりますが、けっこう年齢がいってからそうなる人が多いのではないでしょうか。
管理人の父親は、私にはものすごく優しかったしイケてる父親でしたが、家庭人としてはさっぱりダメな人でした。ところが、自分が見ていた父親の男性としての部分は、家庭人としての父親ではなく、社会人としての父親だったようです。
よって、優しくて仕事もできる、娘(女性)に優しい男性、
という部分は私自身の中でかなり評価は高かったのです。
しかし、忘れてはならないのが、家庭人としてはさっぱりダメだったところです。昭和のど真ん中の世代の人ではありましたが、現代では通用しないでしょう。
このためか、結婚したのは「家でも優しい人」でした。
ここは大きなポイントではないかと思います。つまりは、女性は男性の社会的な部分と、家庭的な部分で評価を使い分けて考えているかもしれない、というところです。
マザコン、ファザコン、という言葉は昔は良くない意味で使われることが多かったですが、現代では「自分」という人間がどのようなモデルを無意識のうちに想定して、相手を判断しているのかという観点においては、
自分を客観的に見つめ直すための重要な要素であるように思います。
ともかく、管理人は、「優しいおじさん」が大好きです。(変な意味ではなく)
みなさんは、どうですか?